AX 電車でGo“東京湾釣り日記” あの日から5年
5年前の今日、その時間、私は新宿高島屋の最上階(14階)で友人たちと食事をしていたが、経験をしたことの無い突然の強い揺れに襲われて慌ててしゃがみ込んだ。
照明が大きく揺れて、テーブルがガタガタと音をたてたが、食器が床に落ちるほどでは無かった。
「この建物は安全です。安心して行動してください」とアナウンス。
揺れは数分でおさまったが、注文した料理の一部が出てこない。
ガスが止まって調理が出来なくなったらしい。
今までにないような大きな地震だとは思ったが、その時はそれほどの大災害になっているとは思っても見なかった。

友人たちと別れて、帰ろうと地下鉄の駅へ行ってみると電車はストップ。
夕方までには復旧するだろうと軽く考えていた。
喫茶店でしばらく時間を潰して再び駅へ行ってみたがまだ復旧していない。
JRの方へも行ってみたが、やはりダメだった。
今日中の復旧は困難たという、
仕方がないので、また喫茶店へ戻った。
喫茶店は平常通り静かな音楽流れているだけで何の情報もない。
家の事が心配になり電話してみたが通じない。
メールを送ってみたら、しばらくして返事がきた。
無事だとの知らせにひと安心。
喫茶店は10時で閉店だという。
さて、困った。
街へ出て見た。
道はぞろぞろ歩く人波の長蛇の列であふれていた。
どこか泊まれるところは無いだろうか。
ホテルはどこも満室らしい。
ふと思い出して、24時間営業のサウナに行ってみた。
混んではいたが、かろうじてセーフ。
やれやれ。
そこでテレビを見て始めて東日本一帯が壊滅状態、大変なことになっていることを知った。
翌日、復旧した電車で無事帰宅。

この日を境に、日本中が大きく変わった。
被災者のために何か出来ることをしたいと皆が考えた。
わずかだが寄付もした。
募金のために街頭に立った高校生の釣り友もいた。
電力不足で徹底した節電。
街のネオンは消えて、自販機も自粛、駅のエスカレーターも停止した。
計画停電が実施され、地域ごとに交互に停電した。
家庭でも、使わない時はテレビ等家電機器のプラグを抜いておく、パソコンは節電モードに設定するなど、皆が細かい節電対策に協力した。

震災から4ヶ月後に開催した「一緒に釣りをしましょう会」はテーマを「東日本大震災復興支援釣り大会」として、釣果のポイントに応じた寄付金を集めて「日本赤十字社 東北関東大震災義援金」に振り込んだ。

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また、釣り大会の賞品は、「あすという日が」という被災地の中学生の合唱のCDにした。

DSCF0034[1]
このCDは、全国大会に東北地方代表として出場予定だった仙台市の八軒中学校の合唱部・吹奏学部の生徒達が、震災のために出場できなくなり、その後避難所を訪れて励ましの歌として披露したものがCDになったもので、売上金は復興支援のために使われるとのこと。

あれから5年。
早いものです。
この時15歳だった中学生は今年20歳のはず。
この頃中学生や高校生だった釣り友達は大学生になり、または社会人となった。

あのとき、皆であんなに被災地のことや、節電のことなど考えたのに、5年間の間にそんな思いは遠くへ行ってしまったような気がする。
あんなに騒いでいた節電の声は聞かれなくなり、ネオンも、自販機も、エスカレーターも復活した。
「電力が足りなければ原発を稼働してどんどん発電すればよい。」そんな空気すら出てきているようにすら思える。
これで良いのだろうか?

人は忘れやすい生き物のようだ。
当時はあの震災から、生き方や社会のあり方について多くを学んだような気がしたのだが、5年後の今日、それを忘れている自分に気が付く。
喉もと過ぎれば熱さを忘れる。

そういえば、たった3ヶ月前の癌疑惑のとき、「残された一日一日を大切に生きよう」と思ったものだが、疑惑が晴れたとたんに忘れてもとにもどってしまった。

あの時の釣り大会の賞品のCDは、こんな曲です。


大空を見上げてごらん
あの枝を見上げてごらん
青空に手をのばす 細い枝
大きな木の実をささえてる
今生きていること
一生懸命に生きること
なんてなんて すばらしい
明日という日があるかぎり
幸せを信じて
明日という日があるかぎり
幸せを信じて

この曲を聞いて5年前の気持ちを思い出したいと思います。


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