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2019年4月29日(火)

釣りバカ青年さんのお誘いで豊洲ぐるり公園へ釣行することになった。
彼と初めて会ったのは、「釣りバカ少年」のハンドルネームを使っていた高校生の頃。
10年くらい前だっただろうか。
その頃は毎月のようにご一緒釣行していたが、社会人になってからはほとんど釣りに行っていないようで最近は年に1~2回あるか無しかといったところだが、今でもお付き合いが続いているの嬉しい。

今日が平成最後の釣りだ。
どんな釣りになるだろうか。
「豊洲ぐるり公園」というのが何年か前に出来たことは知っていたが、行くのは今日が初めてだ。
豊洲周辺の運河だと釣れるとすればシーバスくらいかな。
釣果はあまり期待せず、久しぶりに釣りバカ青年さんと会えることを楽しみに出かけた。

KIMG0823.jpg

午後4時過ぎに釣り場に到着。
釣りバカ青年さんは素早く準備をして竿を出したがまだ魚の気配は無さそうだ。
本命は夜のシーバス狙い。
この時間帯はまだ何も来ないだろうと、ゆっくり準備して胴突きを足元に投入。
しばらく放置しておこうと思いベンチに腰を下ろしたとたんに、釣りバカ青年さんが「来てるようだよ!」
なるほど、竿先がピクピク。
急いで戻って巻いて見ると重い。
何だろう?。
上がって来たのは・・・・・

KIMG0818.jpg

まさかのカレイ。
30センチくらいありそうだ。
(家に帰ってから正確に測ったら28.5㎝だった)
ここでカレイが釣れるとは、しかも足元で・・・・。
思いもよらぬ海からの贈り物にビックリ。
ちょうど胴突きを落とした下でカレイが待ってくれていたのだろうか。
こんなことは想定外だったと二人で笑いあった。

その後しばらくは2人とも何のアタリも無く雑談。
昔の釣り友の想い出などをおしゃべり。
そういえば釣り友の孫第1号のcocoさんは1年くらい前から音信不通。
ツイッターでの書込みも無くなったがその後どうしているのかなぁ・・・。

KIMG0819.jpg

本番に備えて早めの夕食。
海を見ながら弁当を食べてお腹の準備完了。
6時近くなった。
そろそろ釣れ始めても良いころだ。

釣りバカ青年さんの竿にセイゴが釣れ始めた。
2匹、3匹と釣れているようだが、彼はセイゴサイズはお気に入りではないらしくリリース。
私は胴突きとウキを出して待機。
しばらくしてウキにアタリ。

KIMG0825.jpg

27センチのセイゴ。
その後2匹追加したが小さい1匹はリリース。
釣りバカ青年さんも、その後も何匹か釣って大きいのを1匹お持ち帰りのようだ。

8時頃、雨がポチポチ降り出したので納竿。

本日の釣果
カレイ 1匹 (28.5㎝)
セイゴ 3匹 (持ち帰りは27~28センチ 小さい1匹はリリース)

P1160452.jpg

平成最後の釣りは思いがけない海からのプレゼント、カレイで締めを飾りました。
思えば平成は釣りの想い出がいっぱい。
そして釣りバカ青年さんとの10年近くにわたるご一緒釣行も想い出がいっぱい。
平成最後の釣りも想い出に残る釣りとなりました。
お誘いありがとうございました。



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2019年(平成31年)4月28日

あと2日で平成が終わる。
思えば私の釣りは平成から始まった。

昭和から平成へ
私が生まれたのは昭和16年(1941年)、太平洋戦争開戦の年だった。
そして、昭和20年(1945年)4歳の時に終戦を迎えた。
戦後の貧しい時代、そして北海道の貧しい農家で生まれた私は中学を卒業するとすぐに就職し、夜間定時制高校に通った。
子供の頃の私は機械や電気の事が好きで、釣りや魚には全く興味が無かった。
18歳とき親元を離れて単身上京、当時は昼は仕事、夜は学校、学校が休みの日は残業、残業の毎日が続いた。
食べるだけで精一杯の時代、趣味などをする余裕は無かった。
「おいらにゃ無いのか青春が・・・」そんな歌が流行っていたのを思い出す。
そんな青春時代を経て昭和50年33歳で結婚、その後3人の子供に恵まれた。

昭和64年(1989年)、昭和が終わり平成になった。

釣りは平成と共に始まった!

平成元年(1989年)、末の子供が5歳になった。
この子は昆虫や魚が大好きで、幼稚園の頃から魚の図鑑を見たり絵を描いたりしていた。

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当時子供が描いていた魚の絵。

子供にせがまれて近くの小川へザリガニ釣りや、小魚捕りに行くようになり、やがて海釣りに・・・。
小学3年生くらいからは休みといえば釣り、子供のお供であちこちの釣り場へ出かけた。
子供のおかげて私もすっかり釣りが好きになった。
夏休みはなどには泊りがけで房総方面などへ遠征をしたり渡船で沖堤へ行ったりもした。
子供と一緒の釣りは約10年間、中学卒業まで続いた。

釣りと魚に興味を持った子供は、中学卒業と同時に親元を離れて新潟の水産高校へと進学。
子供と一緒に釣りに行く機会が無くなり、私の釣りもここでストップ。
その後仕事が忙しかったこともあり釣りは10年ほどブランク。

釣りとブログで第2の青春!

60歳で退職、その後自営業を始めた。
そして65歳頃から釣りを再開、海釣り施設などへ行くようになった。
ネットで釣り情報などを見るようになり、2008年6月にブログを開設。

2009年の春頃、ブログを見てくれていたcocoさんという中学生の方から「一緒に釣りに行ってくれませんか?」とコメント。
その後何度かメールのやりとりをした後本牧へご一緒釣行、これがブログで知り合った釣り友の第1号だった。
その後4~5年の間にブログを通じて何人もの釣り友が出来た。
釣り友の年齢層は10代~40代、私の子供や孫のような年代の若者が多く、一緒に釣りをしていると「お孫さんですか?」と言われることが良くあった。
そこで、若き釣り友を「孫?」と呼ぶことにした。
入れ替わり立ち代わり、孫たちからお誘いがあり毎週のように釣りに行くようになった。
cocoさんと共催で釣り大会「一緒に釣りをしましょう会」を開催したりもした。

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これは2011年7月開催の「一緒に釣りをしましょう会」の懐かしい写真 。
(顔にぼかしを入れました)
この日のブログはこちらです。

ブログを通じて多くの若き釣り友と出会えるなどとは思ってもいない展開、私にとってはこの時期がまさに青春だった。

孫?第1号との出会いから10年が過ぎた。
当時中学生や高校生だった孫たちは大学生になり、あるいは社会人となって巣立っていった。
そして私は後期高齢者。
ここ1~2年は孫たちとの釣行も少なくなったが、ときおりメールをくれたり、偶然釣り場で出会ったり、ツイッターやブログの投稿などを見たりすると嬉しくなる。

釣りを始めた平成。
ブログを始めた平成。
多くの人がブログを見に来てくれた平成。
たくさんの釣り友との出会いがあった平成。

ありがとう平成。
釣りの趣味を教えてくれた我が子に感謝。
ご一緒釣行で楽しい平成を過ごさせてくれた釣り友の孫たちに感謝。
皆さんに感謝です。

あと2日で令和がやってきます。
令和が皆さんにとって素晴らしい時代でありますように。







2019年4月22日(月)

釣り以外の最近の趣味といえば公園を散歩して写真を撮ること。
この日は旧古川庭園へ行ってみた。
都立文化財9庭園の一つ、国指定名勝にもなっている。

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駒込駅から本郷通りを10数分歩き坂を上って左に曲がったところに正面入り口があった。
入場料は一般が150円、65歳以上は70円、老人に優しい施設だ。
中に入ると都会とは隔絶された別世界だ。

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小高い丘の上に立つ石造りの洋館と、斜面を利用した洋風庭園、低地の和風庭園からなっている。
パンフレットによると、石造りの洋館は英国貴族の邸宅にならった古典様式で、外壁は真鶴産の小松石。
落ち着いた色調の、どっしりとした品格のある大邸宅だ。
こんな贅沢な屋敷の住人はどんな人だったのかと気になるところだが、パンフレットにはそのことについての記載は無い。

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邸宅前の洋風庭園、斜面はつつじ園、その下はバラ園になっている。
100種類ものバラが植えられており、バラの時期には大勢の人で賑わうようだが、今はつつじの時期。
バラの時期にもう一度来てみようかな。


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黄木香
秋篠宮家の真子様のお印だそうだ。
 

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洋風庭園からさらに下った低地にある和風庭園。
この池は「心字池」というらしい。

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日本庭園のあちこちには石灯篭が立っている。
一つ一つ形が違うようだ。
これは春日型灯篭。

P1160376.jpg
十五層塔。
なにかしら宗教的な雰囲気を感じる。

何の知識もなく、思い付きで行って見たのだが、「旧古川庭園」という名称からすると、古川氏という方の邸宅だったのだろう。
どんな方が住んでいたのだろうか?。
帰ってから改めて調べてみると、ウィキペディアに詳しく載っていた。
興味深い記事があったので、その一部を紹介します。

「旧古河庭園は、1919年に古河財閥の古河虎之助男爵の邸宅として現在の形(洋館、西洋庭園、日本庭園)に整えられた。
現在は国有財産であり、東京都が借り受けて一般公開している。国の名勝に指定されている。東京のバラの名所として親しまれている。 」

古川財閥の3代目、古川虎之助という方の邸宅だったというので、さぞ贅沢な暮らしをしていたのかと思ったが、
そうでは無かったようだ。
次のような記事があった。
「1917年より虎之助夫妻はこの屋敷に居住した。
1923年9月1日の関東大震災が起こったが、古河邸はほとんど被害を受けなかった。
しかし都心や下町方面から避難者が押し寄せ、正門前には群衆がたむろした。
虎之助はこれを見て、門を開き、邸内を開放した。さらに本館も開放し医師を動員し負傷者の治療を行い、「滝野川救療所」として翌年3月まで活動した。
また、庭園内の温室も取り壊し、バラック住宅86戸を建造し避難民524人を収容した。」

震災の際に、この屋敷が避難民のために開放されたということは虎之助という人物の人柄が偲ばれて感慨深い。
虎之助は一時的にこの邸宅に住んだが、後には宗教的な理由からこの屋敷を離れて質素な生活を送ったという。

この屋域はその後は古川財閥の経営する会社の接待のための迎賓館として使用されていたが、戦時中は軍に接収され陸軍の宿舎となり、さらに戦後は連合軍に接収された。
接収解除後、国有財産となり東京都がこれを借り受けて整備し1956年に旧古川庭園として開園。
戦前、戦中、戦後、そして現在へと壮絶な歴史を潜り抜けてきた屋敷だったのだ。
予めこのような知識を得たうえで行けば、見かたもまた違っただろう。
どこかへ行くたびにそう思うのだが、なかなか実行出来ず調べるのはいつも後手にまわっています。

興味のある方は「ウィキペディア旧古川庭園」
をご覧ください。



いつも閲覧いただきありがとうございます。
ブログを始めてから11年になりました。
2年くらい前までは釣行回数も多く、週に1~2回更新していたのですが、最近は釣行回数が減ったこともあり月1~2回の更新になってしまいました。
いつも覗きに来てくださる方には申し訳なく思っております。
私はこのブログの他に「自転車で川越散歩」という公園散歩の写真をメインにしたブログもやっていましたが、今回2つのブログを合体してタイトルを「川越のGG<釣りと写真と雑談と>」に変更しすることにいたしました。
釣りネタだけではなかなかブログの更新が出来ないので、釣り日記の他に、川越周辺や東京近郊のあちこちの公園の写真、そのた雑記的な記事などあまりタイトルには拘らずに気の向くままに書きたいと思います。
興味の無い記事は読み飛ばしてください。
今後とも宜しくお願いいたします。


2019年4月19日(金)

数日前、ツイッターで「若洲にイワシが来た」との情報を見たので、今日は若洲へイワシを釣りに行くつもりで家を出た。
電車の中で改めて、若洲の情報を探したがその後イワシ情報は見当たらない。
今日の若洲にはイワシはいないような予感がしてきた。
ふれーゆ裏でアジでも狙った方が良さそうな気がしてきたので、急遽予定を変更してふれーゆ裏へと向かった。

KIMG0806.jpg

午後1時半頃到着。
サビキの人が多いようだが、この時間帯は何も釣れていない。
毎日来ているらしい地元のおじさんの話では、「朝方に何匹かアジが釣れたが、その後止まってしまった。
この後来るとしたら3時過ぎだろう」とのこと。
足元でも釣れないことは無いが、投げた方が有利だそうだ。

トリックサビキを2本用意した。
1本は4.5メートルの竿で、そのまま下へ落した。
もう1本はウキを付けてちょい投げ。

しばらくは何の音沙汰も無かった。
2時半ころ4.5メートルの竿に大きなアタリ。
サビキのハリスを切って逃亡。
何だったんだろう?

その後しばらくしてまた大きなアタリ。

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コノシロ 27センチ。
さっき逃亡したのもこいつだったのかな?

その後小さなアタリがあって、チビメバル。

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13センチくらい。
リリース。

チビメバルは3匹ほど釣れたが、いずれもリリース。

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3時を過ぎたがまだアジの気配はない。
「昨日は今頃から来たんだが、今日は来ないのかな?。それとも遅れているのかな?」と地元のおじさん。

4時を少し過ぎた頃、ウキを付けたトリックサビキをちょいと7~8メートル投げると即アタリ。
本命のアジ。
立て続けに4匹釣れた。

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釣れたのはいずれもウキでちょい投げした竿の方。
足元に落とした4.5メートルの竿には1匹も来ない。
やはりこの釣り場は足元では無理のようだ。

その後2匹を追加したところで、コマセが無くなり4時45分納竿。
本日の釣果
コノシロ 1匹 (27㎝)
アジ   6匹 (16~18㎝)
チビメバル 3匹 (リリース)

P1160342.jpg


帰りがけには周りではアジが釣れ続けていた。
コマセがあればもっと釣れたかも知れないと思うとちょっと残念だが、この時間だと8時頃までには家に帰れるので、ちょうど良かったのかも知れない。
今日はふれーゆ裏に変更して正解だったようです。