AX 電車でGo“東京湾釣り日記” GGの雑談
本日は75歳の誕生日。
ついに後期高齢者になってしまいました。
体力の続く限りここれからもボウズ情報の発信を続けて行こうかと考えております。
今後ともよろしくお願いします。

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つい数日前にポケモンGoなるものが日本で公開された。
私はゲームには全く関心がないのだが、どうやら歩きながらスマホを操作するゲームらしい。
「歩きスマホは危険で、周囲の迷惑にもなるのでやめよう」と言われているのに、歩きスマホを助長するようなゲームが流行って大丈夫なのかなと心配していたが、公開後2~3日で、いろいろな事故や事件が起こっているようだ。
一番多いのが交通事故、そのほかに不法侵入や、ひったくりなども発生しているらしい。
こういう危険性のあるゲームを年齢制限も何もなく、野放しでやって良いものだろうか。
何か規則などは無いのだろうか。
ネットで調べてみました。

ゲームをダウンロードすると、利用規則が出てきて、これに同意しないと先に進めないようになっているらしい。
しかし、この規則をしっかり読んでいる人などほとんどいないだろう。
多くの人は読まずに同意のボタンを押して次に進んでいるははず。

年齢制限
「13歳未満のお子様の親権者又は法的な保護者(以下「親権者等」といいます。)である場合、お客様自身のために、かつ、本規約及び当社のプライバシーポリシーにおいて本サービスの利用を認められているお客様のお子様を代理して、本規約に同意することになります」
つまり13歳未満の子供は保護者の同意なしには使えないと決められている。

自己責任、そして事故に備えて保険に入ること
「お客様による本アプリの利用及びゲームプレイはお客様自身の責任で行うこと、並びに、本サービスの利用中にお客様が被る可能性のある損害に関してお客様が合理的に必要であると考える健康保険、損害賠償保険、災害保険、人身傷害保険、医療保険、生命保険及びその他の保険契約をお客様の責任において維持することに同意するものとします。」
自己責任はまだしも、事故に備えて、「健康保険、損害賠償保険、災害保険、人身傷害保険、医療保険、生命保険などの保険に加入しなさい」という規定があるのには驚いた。
このゲームによって、死亡事故を含むいろいろな事故が発生することをあらかじめ想定してこのような規定を設けたのだろう。
すべては使う側の責任で、提供会社には一切責任が及ばなないように周到に規定が作られており、利用者はこれに同意したことになっているのだ。
マスコミでは、注意が必要とはいいながらも、経済効果があるとか、ひきこもりからの離脱に良いとかプラス面を強調していて、このような利用規則が設けられていることはあまり報じられていないようです。

ポケモンGoについては賛成、反対、いろんな人がいろんなことを言っていますが、私は、漫画家の やくみつる氏の発言の次の部分に共感を覚えます。
「現実は面白いことに満ち溢れているわけです。
道端の植え込みだって、そんな中にいる虫にだって興味を示せばいいものを、そこを見ながら(スマホを介して)現実的じゃないものを探す・・・・・・。
親は、現実のもっと楽しいことを子どもに提供するべきです。」


つまり、「バーチャルな世界の怪物探しよりも、現実の虫や植物などに興味を示した方が良い、現実の楽しいものに目を向けなさい。そして、親は子供に対して現実の楽しいものを教えなさいと」言っているのです。
ポケモンGoばかりではなく、スマホ世代の人たちはバーチャルな世界を追い求める傾向が強くなっていることに私は危惧を感じます。
バーチャル世界の怪物や友達、バーチャル世界の恋人など、バーチャルな世界に浸りすぎると、リアルな世界への興味が薄れて、リアルな世界に適合できなくなっていくのではないかと心配になります。
例えば、バーチャルな世界の彼女とお付き合いしている人は、リアルな女性には興味がなくなるなど・・・・。

釣り友の皆さん。
ときにはバーチャルの世界を楽しむのも良いでしょう。
でも、事故を起こしたり、周囲に迷惑をかけたりしないように十分に気を付けてくださいね。
事故や事件はリアルの世界で起きるのですから・・・。

そして、バーチャルなポケモンを追いかけるのはほどほどにしてリアルな魚を追いかけましょう。
友達、彼女、そして魚は絶対リアルに限りますよ!。
それが「リア充」です。
そろそろ釣りにでも行こうかな・・・・・。


数日前のこと。
外出先から帰ると郵便受けに「不在通知」が入っていた。
差出人を見ると、20年ほど音信不通だったT君の名前が・・・・・・。
え!ホントかな?!
20年間も所在不明だったT君が今になって何かを送ってくるとは考えられない。
何かの間違いではないだろうか?
不在通知に書かれていた追跡番号で調べて見ると神戸市の灘郵便局差出となっている。
神戸に知り合いはいない。
しかし、差出人名は間違いなく当時親しくお付き合いしていたT君の名前だ。
何かわかるかも知れないと思い、T君の名前をネットで検索してみた。
同名の方の博士論文に関する記事が載っていた。
優秀な論文を書いた人らしい。
さらに、神戸にある大学の教職員名簿にT君の名前を見つけた。
同姓同名の別人かもしれない。
しかし、差出郵便局と大学は同じ市内にある。
もしかしたら、あのT君は大学の先生になったのだろうか?。
そして、私のことを思い出して何かを送ってくれたのだろうか?。
半信半疑で再配達を依頼した。


昔々40歳代の頃、私はアマチュア無線をやっていた。
インターネットや携帯などの無かった時代、無線を使って世界中の人と通話が出来るアマチュア無線は趣味の王様と言われており、資格を取ってアマチュア無線局を開局する中高生もたくさんいた。
当時私はアマチュア無線を通じて多くの中高生年代の人達と知り合い、休日などに自宅へ遊びに来る人も多かった。
私は仕事がら電子工学やパソコンの知識が少しあったので、彼らにそれを教えたこともあった。
T君もその中の一人。
彼が中学生か高校生の頃知り合い、大学を卒業後まで付き合いが続いた。
彼が学生の頃は、無線を通じて頻繁にたわいのない話をしたり、遊びに来たりしたのだが、就職後はだんだん疎遠になっていった。
彼との思いではいろいろある。
彼は釣も好きだったので、一緒に釣りをしたこともあった。
彼の実家は埼玉県だが、大学を卒業後、横須賀のアパートに住んでいた時期があった。
私の子供が10歳くらいの頃だっただろうか。
子供と2人で横須賀の平成岸壁(今のうみかぜ公園付近)へ釣りに行き、現地でT君と合流した。
その日は夕方から土砂降りの雨。
全身ずぶ濡れになってしまい、その夜は子供と2人で彼のアパートに泊めてもらうことになり、下着までずぶ濡れになった子供が彼のパンツをお借りしたきた。
それが彼との最後の思い出かもしれない。
その後、彼はどこかへ引っ越してしまったらしく連絡が取れなくなり、音信不通のまま20年もの歳月が流れて今日を迎えた。


夜8時頃郵便物が到着。
冊子が入っていた。

IMG_2553.jpg
中身は全部英文。
チンプンカンプンで私にはまったくわからない。

手紙が添えてあった。
間違いなくあのT君だった。

これまで勤めていた会社を5年前に退職して、大学院に進学し、今春修了しました。
博士論文を送ります。
昔教えてもらった無線やパソコンのことが、その後の研究に役にたちました。
4月から助教として大学に勤めています。

等々近況が書かれていた。

何と、彼は博士になり、大学の先生になっていたのだ。
20年間も音信不通だった彼が私の事を覚えていて、便りをくれたことをとても嬉しく思い感激した。


思えば20年程前の私は、10代、20代のハム(アマチュア無線のこと)仲間と楽しく交流していた。
そして現在の私は、ブログで知り合った息子や孫年代の釣友たちと楽しいお付き合いをさせていただいている。
中学や高校生の頃知り合って、その後ずっとお付き合いが続いている人もいるが、受験、進学、就職などの生活環境の変化をきっかけに、一緒に釣りに行かなくなったり、音信不通になってしまった人もいる。
でも、ブログや、ツイッターなどで元気で頑張っていることを知ると嬉しくなる。
「どうしているのかな」と時々音信不通になった人のことを思い出す。

みんな、頑張ってくださいね。
そしてたまにはメールやコメントなどで近況知らせてくださいね。
応援してます。
20年後にはみんな立派に成長して社会で活躍しているんだろうなぁ。

20年後となると・・・・
私は天国からそれを眺めて喜ぶとこになりそうです。


5年前の今日、その時間、私は新宿高島屋の最上階(14階)で友人たちと食事をしていたが、経験をしたことの無い突然の強い揺れに襲われて慌ててしゃがみ込んだ。
照明が大きく揺れて、テーブルがガタガタと音をたてたが、食器が床に落ちるほどでは無かった。
「この建物は安全です。安心して行動してください」とアナウンス。
揺れは数分でおさまったが、注文した料理の一部が出てこない。
ガスが止まって調理が出来なくなったらしい。
今までにないような大きな地震だとは思ったが、その時はそれほどの大災害になっているとは思っても見なかった。

友人たちと別れて、帰ろうと地下鉄の駅へ行ってみると電車はストップ。
夕方までには復旧するだろうと軽く考えていた。
喫茶店でしばらく時間を潰して再び駅へ行ってみたがまだ復旧していない。
JRの方へも行ってみたが、やはりダメだった。
今日中の復旧は困難たという、
仕方がないので、また喫茶店へ戻った。
喫茶店は平常通り静かな音楽流れているだけで何の情報もない。
家の事が心配になり電話してみたが通じない。
メールを送ってみたら、しばらくして返事がきた。
無事だとの知らせにひと安心。
喫茶店は10時で閉店だという。
さて、困った。
街へ出て見た。
道はぞろぞろ歩く人波の長蛇の列であふれていた。
どこか泊まれるところは無いだろうか。
ホテルはどこも満室らしい。
ふと思い出して、24時間営業のサウナに行ってみた。
混んではいたが、かろうじてセーフ。
やれやれ。
そこでテレビを見て始めて東日本一帯が壊滅状態、大変なことになっていることを知った。
翌日、復旧した電車で無事帰宅。

この日を境に、日本中が大きく変わった。
被災者のために何か出来ることをしたいと皆が考えた。
わずかだが寄付もした。
募金のために街頭に立った高校生の釣り友もいた。
電力不足で徹底した節電。
街のネオンは消えて、自販機も自粛、駅のエスカレーターも停止した。
計画停電が実施され、地域ごとに交互に停電した。
家庭でも、使わない時はテレビ等家電機器のプラグを抜いておく、パソコンは節電モードに設定するなど、皆が細かい節電対策に協力した。

震災から4ヶ月後に開催した「一緒に釣りをしましょう会」はテーマを「東日本大震災復興支援釣り大会」として、釣果のポイントに応じた寄付金を集めて「日本赤十字社 東北関東大震災義援金」に振り込んだ。

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また、釣り大会の賞品は、「あすという日が」という被災地の中学生の合唱のCDにした。

DSCF0034[1]
このCDは、全国大会に東北地方代表として出場予定だった仙台市の八軒中学校の合唱部・吹奏学部の生徒達が、震災のために出場できなくなり、その後避難所を訪れて励ましの歌として披露したものがCDになったもので、売上金は復興支援のために使われるとのこと。

あれから5年。
早いものです。
この時15歳だった中学生は今年20歳のはず。
この頃中学生や高校生だった釣り友達は大学生になり、または社会人となった。

あのとき、皆であんなに被災地のことや、節電のことなど考えたのに、5年間の間にそんな思いは遠くへ行ってしまったような気がする。
あんなに騒いでいた節電の声は聞かれなくなり、ネオンも、自販機も、エスカレーターも復活した。
「電力が足りなければ原発を稼働してどんどん発電すればよい。」そんな空気すら出てきているようにすら思える。
これで良いのだろうか?

人は忘れやすい生き物のようだ。
当時はあの震災から、生き方や社会のあり方について多くを学んだような気がしたのだが、5年後の今日、それを忘れている自分に気が付く。
喉もと過ぎれば熱さを忘れる。

そういえば、たった3ヶ月前の癌疑惑のとき、「残された一日一日を大切に生きよう」と思ったものだが、疑惑が晴れたとたんに忘れてもとにもどってしまった。

あの時の釣り大会の賞品のCDは、こんな曲です。


大空を見上げてごらん
あの枝を見上げてごらん
青空に手をのばす 細い枝
大きな木の実をささえてる
今生きていること
一生懸命に生きること
なんてなんて すばらしい
明日という日があるかぎり
幸せを信じて
明日という日があるかぎり
幸せを信じて

この曲を聞いて5年前の気持ちを思い出したいと思います。



精密検査は2月4日と決まった。
検査まではまだしばらくある。
私は胆石持ちで、そのせいか時々腹部に軽い痛みがあったり背中に違和感を感じたりすることがある。
膵臓癌も同じような症状が出るらしい。
もしかしたら、これは胆石じゃなくて膵臓癌のせいかな?
ちょっと痛みがあると、そんなことを考えることもあった。
癌の進行を遅らせるには免疫力を高めればいいらしい。
そのためには減塩、そして人参などの野菜ジュースを毎日大量に飲めば良いと書いてある本があった。
これならすぐにでも出来るので早速実行することにした。

もし膵臓癌だったら余命6ヶ月ということもありそうだ。
母は3ヶ月足らずで亡くなったのだから・・・・。
最悪を考えて準備しておいた方がいいかな。

子供たちは皆独立して生活しているので何も心配はない。
仕事も少ししかやっていないのであまり問題はない。
私が死んだとしても周りを困らせたり、迷惑かけたりすることはあまり無さそうだ。
些細な身辺整理以外にはたいした準備も無さそうだ。
これはとても幸せなことだと思う。

以前に私がパソコンを指導していたO氏のことを思い出した。
O氏は10年くらい前にパソコン講座を受講し、その後は年に2~3回わからないところだけを聞きにきたりしてずっと交流が続いてきた。
私より数歳年上の元気な老人だったが、80歳近くなって体調を崩したと聞き、その後の半年は訪問指導で何度か伺った。
病気上がりで無理が出来ない体になったと言ってはいたが元気そうで特に変わった様子はなかった。
訪問指導を予定したある日の前日、O氏の奥さんから突然電話があった。
「実は主人は癌で、余命6ヶ月と宣告されており、あまり永くはない状態なのです。そのことをお耳に入れた上で来ていただきたいと思いまして・・・・・」
翌日、訪問するとO氏は起きてはいたが、いつもより元気の無い顔をしていた。
パソコンが置いてある2階へ行く事が困難になったそうだ。
O氏は言った。
「私の寿命がそろそろ終わりに近づいたようです。私が死んだら喪中のはがきの作成をお願いしたいのです。」
それから1週間ほど後にO氏死亡の連絡を受けた。

O氏の死から2ヶ月後の11月、O氏の奥さんから連絡を受け訪問し、「ここに住所録が入っているので、これで喪中のはがきを作ってください。」とUSBメモリーを手渡された。
O死が生前に用意しておいたもののようだ。

そのとき、奥さんがO氏の最後について話してくれた。
癌発覚から11ヶ月での旅立ちだったそうだ。
死の直前まで意識がはっきりしていて、最後の日も病院に行く事を拒否し自宅で亡くなられたとのこと。
「癌発覚後は好きなことをして、食べたいものを食べ、苦しむことも無く安らかに逝きました。幸せな人だったと思います。」と奥さんは言っていた。
理想的な死のパターンの1つとして私の頭に残っている。

もし癌と決まったら、私も極力病院は行かない治療法にして、やりたいことをしたいな。
病院のベットに縛り付けられて1年間延命するよりは、6ヶ月でもいいから自由に好きなことが出来る治療を選ぼう。

まずは長野や愛知にいる子供たちの所へいってみよう。
郷里の北海道へも1度行っておきたいな。
釣友の息子や孫たちを集めての釣り大会もやりたいな。

そんなことを考えながら、2月4日のMRI検査を迎えた。
しかし当日は検査だけ。
結果の説明はそれから10日後の2月15日。

毎日大量に飲んでいる生野菜ジュースが効いてきたのか、血圧が下がってきた。
10年くらい前から血圧の薬を飲んでいるのだが、この調子なら薬は止めてもいいかも知れない。
そして心なしか体全体が元気になってきたような気がする。
食欲も普通、体重が減るようすも無い。
疑惑発生から1ヶ月を過ぎた。
以前からたまにある一過性のわずかな腹痛以外にはこれと言った自覚症状はない。
お天気の良い日は自転車で伊佐沼へ行ったりして、普段と変わらない日常を過ごした。

そして結果説明の2月15日(昨日)を迎えた。
10年も前から胆石の治療を受けてきた馴染みの医師だ。
膵臓部の写真を示して・・・・・
「膵臓はきれいです。膵管の拡張は無いですね。大丈夫です!」

45日間に及んだ癌疑惑は一瞬にして消滅!。
めでたし、めでたし。

今年はまだドロメしか釣っていない。
お祝いにクロダイでも釣りに行こうかな・・・・・・・・。